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2009年1月

2009年1月31日

今日は、一日中雨が降っていた。お天気で左右されるお仕事をしている方には、叱られそうだが、私はこんな日が嫌いではない。何故なら季節の移り変わりを実感できるから。例えば、今の季節ならば一雨ごとに、木々の芽が膨らんでゆき暖かくなるといった具合に。外の天気ばかりではない。私は、大事な時には、いつも心に雨を降らせるようにしている。ひっそりと誰にも気付かれないように。確かな自分をつかむために。大好きな祖母の葬儀には冷たい雨を降らせた。身も凍るような寒さを体験することで、まわりの人達の思いやりを知ることが出来た。自分の結婚式の時には温かい雨を降らせた。この雨で何かが始まりますようにという願いを込めて。大失敗をしてしまった時には大雨を降らせた。全てを洗い流し新しい私に出会うために。暗いニュースばかりで落ち込みがちな今の世の中。皆がそれぞれの雨を降らせて良い方向に変っていけたらと強く思う。日付が変ってもなかなかやまない雨。この雨が上がる頃には街はどんな色に染まっているのであろう。

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2009年1月28日

私の趣味の一つに読書がある。「趣味は?」と聞かれて「本を読むこと。」と答えるようになったのは、小学校の高学年位からだったかな。きっかけがいかなるものだったのかは今となっては定かではない。本は、とかく家にこもりがちな私を色々な世界へと誘う。行った事がない外国だったり、夢でしかしらない宇宙であったり、時代を超えた世の中であったり・・・・・。それぞれの世界にそれぞれの主人公がいて、ドラマが繰り広げられている。あまり協調性がない私が、いつのまにか物語の主人公あるいは登場人物の立場となり、泣いたり笑ったり怒ったり、しっかりと共感している。不思議だな本って。たった一冊の本が人生をも変えてしまうことさえある。今、この世の中にどれだけの書物が出回っているのか私にはわからない。だからこそ一つ一つを大切にしたい。目の前にある買ったばかりの本。この扉の向こうにはどんな世界が広がっていてどういう出逢いがあるのかな。

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2009年1月26日

焼き芋屋さん

今朝、ニュースの特集で、ある焼き芋屋さんの話を取り上げていた。50代の男性。去年の秋まで大工の仕事をしていたが、不況のあおりをもろに受け仕事が減り、地方に奥様を残し上京して焼き芋屋になった。土地鑑のない場所で、見知らぬ人達と六人一部屋の寮生活。朝の慌しい時間帯にもかかわらず思わず画面に釘付けとなってしまった。あまりにもせつな過ぎて。生きていくため、愛する人のため、その男性は懸命に慣れない仕事をこなしていた。早朝に数10kgの芋を積み街中へと繰り出し、昼間は住宅街、夕方からは駅前で営業する。その男性は、お客さんが来るタイミングとお芋を焼くタイミングがうまくつかめず、苦労をしていた。売れ残った焼き芋をかじりながら、「今日は、十六時間働いて、5000円にも満たなかった。」と寂しく笑った。その顔が、去年一度だけ出会った、優しい焼き芋屋さんの笑顔に重なって鼻の奥がツーンとなった。人々が思いを込めるのは、焼き芋だけではないだろう。ラーメンだったり、たい焼きだったり、たこ焼きだったり・・・・・・・。どういうルートで自分の口まで、運ばれることとなったのか考えるとわずかな物でも無駄には出来ない。「お譲ちゃん、お菓子、おまけしとくよ。」と娘に微笑んでくれた、あの声が今も私の耳に残っているから。

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2009年1月24日

登山

私の知人に登山を趣味とする人達がいる。その方たちと話をする機会があった。苦しくて、きつくて、地味で・・・・・・・・。マイナスイメージばかりが先行して、中学校の遠足以来、経験はない。おそらく、山登りに関しては、私と似たような感情を抱く人が少なくないだろう。その場の雰囲気からかそれとも自分とは縁がない世界を知っている人達への憧れからか、言葉では説明しがたい好奇心が沸いてきて色々と質問をしてみた。その方たちは嫌がりもせず、時には笑みさえ浮かべながら私の質問に答えてくれた。やはり、想像していた通りいや、それ以上につらく、厳しいものだった。山には当然の事ながらトイレもなく水呑場も限られていている。頼みの綱である山小屋は、人々が押し寄せる季節には一つの布団に二人三人で寝ることも珍しくないそうだ。(山小屋は来る者は絶対に拒まない姿勢。)落石など防ぎようもない事故もあり、高山病に苦しむ人もいる。「危うく、命を落としかけたことも・・・・・・・・・。」という話を聞いた時には、「何故、そんな思いをしてまで登るのか。」と思わず詰め寄っていた。彼等は答えた。「山頂から見た絶景は綺麗なんだ。」と。きっと地面の底からわき上がってくるような感動から生まれた”綺麗”なんだろうと想った。私が知っている”綺麗”とは重さが違うと感じた。子供のような疑問を投げかけていた自分が急に恥ずかしくなった。「今度、皆さんも、ご一緒にいかがですか?」とそう微笑んだ彼らの瞳は大地のように優しくて、白い歯が眩しいほどに光っていてとても印象的だった。

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2009年1月20日

大寒

気まぐれで家の周りを少し散策してみた。さすが二十四節季の一、大寒というだけあって寒い。空には低く白い冬の雲が広がっている。背を丸めるように歩いていたが、ふと、顔を上げるとあるものが目に止まった。桜の木の枝。驚いたことに、もう、芽吹き始めていた。この地方では花が咲くのは二ヵ月半以上も先の事なのに。携帯電話のカメラおろか、デジカメでも写すことが少し難しいほどの小さな、小さな芽。目を凝らさなければ気付くことさえ出来ない。はかなげで、それでいて、一生懸命で。感動した。現実社会で少し落ち込んでいた私がいつの間にか笑顔になっていた。春が来ない冬はない。朝が来ない夜もない。ひょっとしたら、報われない努力なんてないのかもしれない。春が来る直前が、一番寒いという話をよく聞く。夜明け前が一番暗いとも。人間は夢を叶える寸前が一番苦しいのかもしれない。自然の息吹に生きる力をいただいた。そんな気がした。

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2009年1月17日

震災から・・・・。

阪神淡路大震災から今日で十四年。あの日、私は、テレビのスイッチを押して愕然とした。高速道路が折れていた。いったい何が起こったのか理解するまですごく時間を要した。それからもニューズを聞くたびに犠牲者が増えていき、体の振るえが止まらなかった。かつて百万ドルの夜景と評され、一度は訪れて見たいと憧れていたあの灯りの一つ一つが炎に変っていく様を、テレビでみているだけでどうにも出来なかった。ただ、ただ呆然とするだけだった。自分の無力さを責めた。中でも私がどうしても忘れられない命がある。ある女の子の話だ。彼女は震災が起こった時、まだ、1か月にも満たない赤ちゃんだった。お母さんと一緒に着の身着のままで、体育館に避難してきた。彼女のお母さんは支給される牛乳を自分の体温で必死に温め彼女に飲ませ、毛布でくるみ抱いた。周囲の人達の協力もあってその後、二ヶ月ほどは頑張ることができた。しかし、避難所という特殊な環境は生まれたばかりの赤ちゃんには苛酷すぎた。お母さんの願いも叶わず命を落とした。この話を聞いた時、涙がどうしようもなくあふれて、止まらなかった。彼女の瞳に最後に映ったものは、いったい何であったのだろう。毎年、一月十七日に被災地に灯される命の灯火。忘れてはならない、決して無駄にしてはいけない命の数々。

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2009年1月15日

おばあちゃん

正月が明けたこの時期になると思い出すことがある。繭玉作り。この行事は地域よって、或いは各家々によってならわし等は様々だ。自分の生まれた家が果たしてどういうものだったのか、残念だがあまりよく覚えていない。 何歳の時だったのだろうか、繭玉を今は亡き祖母と私の二人だけで作った年があった。繭玉作りを任された喜びよりも大好きな祖母を独占できる嬉しさの方が大きかった。小さな手でお米の粉で作ったお団子を丸めながら、私は祖母に聞いた。「おばあちゃん、小正月が近くなると繭玉を作るのはどうして?」祖母はしっかりと私の目を見て答えてくれた。「ゆうきちゃんが、今年一年、元気で暮らせますようにってお団子にお祈りするんだよ。」 繭玉の伝統はおろか作り方さえも記憶があいまいなのに、あの日の祖母の皺くちゃの笑顔と優しい声、一緒に過ごせた心地よさは、今でも鮮明だ。もしかしたら、祖母は、恒例の行事である繭玉作りが自分の代で途絶えてしまうことを知っていたのかも知れない。だからこそ、あの時の繭玉に私の一生分の幸せを込めてくれたのだろうと今ならわかる。”おばあちゃん、ゆうきは、結婚して子供も生まれて元気にしているよ。ネットというおばあちゃんが全然知らない世界にもお友達が出来たよ。おばちゃん、あばあちゃん、ありがとう。見ていてくれるかな?私の声、聞こえるかな?”

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2009年1月12日

白鳥の湖

Photo_2 気分転換がしたくて、ドライブをして来た。ここは、某観光名所で白鳥の湖としても知られている。とはいっても、天候などの関係もあり、いつ行っても見られるという訳ではない。その上、白鳥はとても警戒心の強い鳥で、一度怖い思いをすると二度とその場所には近づかないそうだ。「どうしても見たい。」と夫に我がままを言い、湖を一周半、諦めかけていた頃、やっと、やっと巡り合えた。慌てて車を止め湖のほとりまで近づいた。執念が嬉し涙に変っていた。遠くシベリアから越冬するためにやって来た白鳥。彼らの目には、日本の山々は、空は、湖の周辺に広がる土産物屋は、そして人々はどんな風に映るのであろう。どのような思いを抱くのだろう。所どころに氷の張った湖は刺すほどの寒さで、手は凍ってしまいそうに冷たくなった。でも、そこには確実に生があった。草木は芽吹き始めていた。生きている、実感できた一日だった。

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2009年1月 9日

夕日

Photo 夫の実家に帰省した時、車窓から夕日を見た。夕焼けをじっくり眺めるなんて本当に久しぶりなのでちょっと感激した。今日という日が二度と来ないように同じ夕日は二度と見ることはできない。そう考えたら、なにげなく通り過ぎようとした景色がたまらなく愛おしくなった。私は今まで生きてきた中でいくつの夕日を見逃してきたのだろう。仕事や家事、子育てを言い訳に・・・・・・。こんなにも癒される光景に目を向けようとしなかった。惜しい気がしてならない。自分の力だけで平和な毎日を過ごせる訳ではないという事を、気付かせてくれたこの夕日に感謝したい。「写真を撮りたい。」という私のために、わざわざベストポジションに車を止めてくれた夫や黙って見守ってくれた義母や娘にも。これから先、いくつの夕日を見つめられるのかわからない。でも、日々の生活の中にこそ感動を見出せるそんな生活を送りたいな。

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2009年1月 4日

母の手

今日、実家に里帰りした。久々に、母と二人で台所に立つ。包丁で野菜を刻む手を思わず見つめてしまう。いつの間に、こんなに小さくなってしまったのだろう。昔はもっと大きかったのに。ごっつくって、ぶあつくて、女性の手とは思えないくらい、たくましかった。子供の頃はそんな母の手がただ、ただ恥ずかしかった。口に出して言った事はなかったが、友達の母親の細くて、白くて、すべすべした手がうらやましかった。幼かったな、愚かだったな、何もわかっていなかったなと今になって感じる。母はその手で、畑を耕して自家製の野菜を栽培し、内職をして家計を助け、私と弟を育て上げた。春にはよもぎを摘み団子を作り、夏には私の大好物である糠漬けをつけ、秋には秋刀魚ご飯を炊き、冬には白菜漬けやこれまた、手作りの干し柿を味わった。おかげで私の生まれ育った家はいつも、季節感であふれていた。風を目で、耳で、鼻で、舌で、肌で、感じながら育つことができた。母の手はいつも誰かを守り、支えてきた手だと思った。そんな、母の手に尊敬の念を抱く。そして一歩でも近づきたい・・・・・・・・・。近づけるかな。

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2009年1月 2日

明けましておめでとうございます。

我が家でも無事に2009年を迎えることができた。”派遣村”などという聞き慣れない言葉が生まれてしまった今日この頃、当たり前だと思っていた日常こそが実は、幸福なのだと感じなければならないだろう。三食を味わえる幸せ、住むところがある幸せ、手を延ばせばぬくもりに触れることができる幸せ、明けましておめでとう!を言える仲間がいる幸せ忘れずに過ごしたい。ありふれた毎日に感謝の気持ちを発見できるそんな私でいたい。そして、静かに、でも確かな足取りで今年を歩き始めようと思う。嵐の夜もあるだろう、何が待っているのかわからない、正直言って、泣きそうなくらい不安である。それえも歩いて行きたい。

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