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2009年8月

2009年8月31日

夕暮れ

Photo  今日の夕方、我が家のキッチンの窓が見事なオレンジ色に染まった。ダイニングテーブルの椅子に腰掛け、ぼんやりとノートパソコンを開いていたゆうきは、驚いた。今日は朝からずっと雨が降り続いていたはず・・・・・。お天気の変化が信じられなくて外へ出てみた。美しい夕暮れが辺りの景色すべてを覆いつくしている。家々の屋根も遠くに見える遊園地のアトラクションも最近、目立ち始めたススキもみんなみんなオレンジ色で言葉に出来ないくらい綺麗だ。知らず知らずのうちに視界がぼやけた。感動は日常の中にこそ潜んでいる、改めて思い知った。この風景をゆうきの中だけに留めておくのはあまりに忍びなくて、勿体無くて、どうしても忘れたくなくてデジカメに収めた。
 この写真、われながらよく撮れていると思う。(自画自賛?)仕事のため家を留守にしていて感動を共有できなかった夫に早く見せたい。最近、お疲れモード全開の彼の心を少しでも癒せるといいのだけれど。

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2009年8月29日

思い出

Photo  箱根の大涌谷へ行って来た。(日帰り)ここは、小学校の修学旅行で一度、来たことがある。思い出の場所と言いたいところだがゆうきはその時のことを覚えていない・・・・・。記憶にはないが写真としては残っている。基本的にいつもカメラには笑みを浮かべるゆうきだがここで取った写真だけは何故か憂鬱そうな顔をしている。他の同級生たちは、元気はつらつの笑顔なのに。どうしたのだろうか?バスに酔ったのか、それとも疲れていたのか・・・・・ずっと気になっている。
 29年ぶりに訪れた大涌谷は、残暑があるが、時折、頬をなでる風はさわやかで、山頂からの景色は息を呑むほど素晴らしかった。夫や娘ももちろんだが、居合わせた観光客もみんな笑顔だった。小学校6年生の時のあの憂鬱そうなゆうきと重なるものは見つからなかった。「あの時はどうしたの?」アルバムの中のゆうきに改めて問いたくなった。
 それにしても、写真としてきちんと残っている時の事をほとんど覚えていなくて、写真としては残っていないのに鮮明に覚えていることがある・・・・・。人の記憶のメカニズムは、やはり不思議だ。

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2009年8月26日

秋の到来

Photo  今日の夕方、外へ出て、しみじみ感じた。秋だなだなぁ~と。空が高くなった。日がぐっと短くなった。肌に感じる風は、もうすでに秋のものだ。本当に不思議に思うのだが、夏の間、気にも留めなかったススキが、ここ数日、急に目に留まるようになった。本当はずっとここにあったのに。四季は外の世界だけではなく人の心にも存在するのかもしれない。この風景の何処に隠れているのだろうか、鈴虫やコオロギの鳴き声が耳に心地好い。ほのかに香ってくる草の匂いは夏とは確実に違っている。辺りに咲く花も向日葵や朝顔から、秋桜や小菊へとバトンタッチをした。なんとなく物悲しくてそれでいて愛おしくもある景色。本格的な秋の到来だ。

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2009年8月24日

飛行船

Photo  夫の実家に行く途中には、飛行船の発着所がある。天候などとの兼ね合いもあり、通る度にに見られるというわけではないが、運がよければその姿をとらえることが出来る。
 今回の帰省では、行く時は、ダメだった。諦めかけていた帰り道でようやく?念願が叶った。
「わ~い!飛行船だぁ」
ゆうきが歓声をあげたのは言うまでもない。見られたのは何年ぶりだろう。胸からこみ上げて来る歓びを抑えることが出来なかった。車が、発着所を通り過ぎるわずかな間、ゆうきは、夢中でデジカメのシャッターを切った。飛行船は、今、まさに、大空へ飛び立とうとしているところだった。数え切れないほど、ここを通ったが、こんな瞬間に出くわしたのは初めてだ。思っても見なかった偶然に心から感謝したい。
 飛行船は、ロケット、気球と並んでゆうきの憧れの乗り物だ。一度で良いから飛行船から、自分の住む町を見てみたいと思う。夢見る夢子さんみたいな願いだか、人は、このくらいの夢があったほうが生きていく上で張りがありかつ希望も持てていいと思う。

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2009年8月22日

散歩

Photo  夫の実家へ行った際、近所を散歩してみた。
「田舎だから、何の面白みもないぞ。」
夫は言うけれど、そんなことはない。のどかで、平和で、のんびりとブラブラするには、もってこいの場所だ。
 ゆうきが住む地方は、すでに肌寒く感じる日もあるくらいなのに、ここはまだ残暑が厳しい。蝉が過ぎ去る夏を惜しむかの様に力の限り鳴いていた。一面に広がる田園風景は、黄金色に染まりつつあり稲が少しだけ頭を垂れ始めている。同じ日本国内でも初秋の形は様々なのだということを五感を通じて感じた。
 ここで、この場所で夫は育った。田んぼのあぜ道を駆け回り、向こう側に広がる雑木林でかぶと虫取りをした。兼業農家に育った夫は近所では腕白坊主で勇名だったい・・・・・。
目の前の風景と少年時代の夫の姿が重なり、ちょっとだけ鼻の奥がツーンとした。
 散歩から戻ったゆうきを夫は笑顔で迎えてくれた。彼の瞳の奥に宿る好奇心と素朴さは、大人なり、父親となった今も健在だ。この人には、やっぱりこの風景が似合う・・・・。
ゆうきは強く感じた。

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2009年8月19日

生命力

Photo_2  立秋から十日余り、ゆうきが住む地方は、ぐんと涼しくなった。朝方は毛布がないと寒いくらいだ。
 この夏は、夏らしい日が、本当に少なかったと思う。
 「今年は、野菜の出来がよくなくて・・・」実家の両親も嘆いていた。 それでも、ゆうきが、実家を後にするときには、「帰ってから食べろ。」と自分たちが汗水流して育てた野菜を持たせてくれた。長雨、日照不足を生き抜いた力強い野菜たちと言えよう。例えわずかでも無駄には出来ないと感じた。
 ”安全で新鮮な野菜を食べて元気に過ごしてほしい”両親の思いを受け、昨夜は野菜尽くしのメニューとなった。みょうがは卵とじに、太くて長いきゅうりは大きめに切ってお味噌で。浅漬けも作った。ピーマン、タマネギ、ジャガイモはカレースープにした。昨日の夕食はいつもより会話が弾んでいたように思う。天候不順に打ち勝った野菜たちは、夏が終わってしまいなんとなく感じていた物悲しさをも一掃してくれた。逞しい生命力に心から感謝の意を表したい。
 

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2009年8月17日

自分の味

Photo  お盆が明け、ようやくお休みが取れた夫。娘も伴ない実家へ行ってきた。3人で帰省するのはお正月以来。これではいけないと思いつつ、娘が大きくなるにつれ、年々、実家から遠のいている。
 今年で70歳となった両親はゆうき一家の訪問をこの上なく喜び、心づくしのもてなしをしてくれた。
 その中でもゆうきの一番のお気に入りは母が漬けたぬか漬け。他の料理には目もくれず飛びつく。母もそれを承知していて、ゆうきのためにたくさん漬けておいてくれた。
 ぬか漬けって大好きだ。素朴で、それでいて各家庭独自の味わいがある。お袋の味の代表格と言っても過言ではないと思う。久しぶりに嗅ぐぬかの香りは、懐かしくて心地好くて、特に用事があるわけではないのに何度も何度も台所に出入りした。嗅覚にも記憶があることを改めて実感する。この家に生まれ来て本当に良かったと心から思った。
 あまり塩辛くなくて、ちょっと酸味がある母のぬか漬け。私の母の味だ。
我が娘にも、いくつになっても忘れられない、お袋の味を作ってやろう、ゆうきは母のぬか漬けに誓った。

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2009年8月15日

夕顔

Photo  お盆期間中の昨日、知人から思わぬ頂き物をした。
 冬瓜、ゆうきの住む地方では”夕顔”と呼ぶ。巻き寿司に使う干瓢の原料だ。
 ゆうきのおじいちゃん(母方の)は、生粋の農家生まれで、晩年まで畑仕事を生きがいにしていた。毎日、朝早くから夕方暗くなるまで畑を耕し、作物の世話をしていた。時々、ゆうきの家では栽培していない野菜を届けてくれた。七十代、八十代の頃は、自転車に背負い籠姿で、九十歳を過ぎ自転車をこぐことが不可能になると、自転車を手押し車代わりにして。夕顔は、おじいちゃんが届けてくれる野菜の代表格だった。
 ゆうきの家では、夕顔を味噌汁の具にしていた。夕顔を切って皮をむき、種を取って、食べやすい薄さ大きさに切って、沸騰した湯の中に入れ味噌を溶かし込む。淡白で癖がなくて、当時、味噌汁そのものがあまり好きではなかったゆうきも、夕顔の味噌汁だけは別だった。
 早速、今日、夕食に味噌汁を作った。あの頃と同じ手順で。出来上がった味噌汁を味見してみた。おじいちゃんが作った夕顔ではないのに、おじいちゃんのものと同じ味がした。ジーンとしてちょっと視界がぼやけた。食べ物で涙ぐんでしまうなんていつ以来だろう。小さな頃、庭におじいちゃんの自転車が止まっていると嬉しくなり、「ただいま~。」の声がいつもより弾んだ。ゆうきの高校合格を一番に喜んで、「おめでとう」の電話をくれた。ゆうきの花嫁姿に目を細め、やがて誕生したひ孫を恐る恐る抱いた。夕顔を噛み締めた。すぐ近くにおじいちゃんの気配を感じた・・・。
 

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2009年8月12日

素朴なパン

Photo_2   時々訪れる大型ショッピングセンターの中にあるベーカリーで、珍しい名のパンを見つけた。
”ハイジが愛した白パン”。名前に踊らされ?気付くと購入していた。どんな味なんだろう、食べる前から胸がワクワクする。こんな気持ちは、久しぶりだ。
 フードコートの椅子に腰掛け、早速、食べてみた。飾り気はないけれどフワフワな食感、地味だけれど何処か懐かしい味が口いっぱいに広がった。ハイジが大好きなおばあさんにあげるために、白パンを隠し持っていたシーンが思い出されジーンとした。そう言えば、ゆうきの祖母もこんな風に素朴な味のパンを好んだ。早いもので、明日はもうお盆。普段は通り過ぎるだけのベーカリーに立ち寄りたい気持ちにになったのも、このパンに出会えたのも祖母の思いに引き寄せられてのことかもしれない。おばあちゃんの魂、明日、迷わずに帰ってこられるかな。帰ってこられるといいな。

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2009年8月10日

もくもく雲

Photo  「わ~っ!」
建物から出た瞬間、思わず目を見張った。ずっとずっと忘れかけていた夏の空が目の前にあった。小学生の頃、画用紙いっぱいに描いた懐かしい空だ。”もくもく雲”雲が水蒸気で出来ていることを知らなかったあの頃は、入道雲をそんな風に呼んでいた。雲の向こうにどんな世界が広がっているのかを想像し、雲の上で飛び跳ねることを夢見た。プールの帰り道、お使いの行く途中、空を見上げ、刻一刻と変化する雲を飽きることなく眺めていた。手に届かない場所にある雲は、ゆうきにとって憧れの象徴だった。
 あれから、数十年、あの頃、一人で眺めていた雲を今、家族で眺める。きっと、夫は夫なりの、娘は娘なりの思いがよぎったに違いない、二人とも目をキラキラと輝かせていた。
何気ない夏の光景、しっかりと心のアルバムに収めておこうと思う。

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2009年8月 8日

芸術の夏

Photo  今日は、一日、美術館で過ごした。
 娘が、まだベビーカーに乗っている頃から、幾度となく訪れているゆうき一家お気に入りの美術館だ。
 中学校で美術部に所属している娘は、ずっと、楽しみにしていたらしく、朝からテンションが高かった。
 逸る気持ちを抑えつつ、安全運転で、午前10時に到着。
 ここから先は、芸術の世界だ。3人が3人、それぞれのペースで絵画を堪能する。ゆうきは、いつも思う。美術館は不思議な空間だと。外の世界とは隔絶されているのに、絵画達は、作品たちは個々の方法で外の世界を語っている。当然のことながら、絵画を写真に収めることは禁止されている。一つ一つの作品を脳裏に焼き付けようと必死なった。絵から何かを得ようと心の目と耳を見開いた。部屋に飾られている絵画たちの命の声が聞こえてきた気がした。画家たちは絵の中で今も生き続けている。
 美術館を後にした時の夫の娘の表情は充実感でいっぱいだった。鏡で確かめたわけではないけれどゆうきの表情もきっと。ほとんど一日中、館内を歩き続けたためか、足はパンパンで、目が少しチカチカする。でも、そのどちらとも心地好い疲れだ。ゆうきには、芸術的センスも絵心もないけれど、絵を見て感じることはたくさんあった。一足早い芸術の秋を十分に味わった。

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2009年8月 5日

実況中継

実況中継
花火大会に来ている。某観光名所の湖上祭。今年で93回目。歴史ある大会だ。目の前の湖から打ち上げられる花火に魅了され続けること十数年。ゆうき一家は、ほとんど毎年のように訪れる。 とここまでブログの記事を打ったところで、花火大会が始まった。 まず最初は、定番の打ち上げ花火。夜空を彩る大輪の花は、やはり、息を呑むほど綺麗だ。しばらく大小様々、色も形も様々な花火が続いた後、ゆうきが最も楽しみにしていた“湖上の舞”孔雀花火が湖上でその羽を広げた。花火の光によって湖にボートを浮かべて打ち上げられた花火の行く末を見守る花火師達のシルエットが浮かび上がった。彼等の今の心境はどのようなものなのだろ。ふと、隣を見て気付いた。自分の目で見る花火は美しいが大切な人の瞳に映る花火はもっと美しいことに。この人達が居れば、花火大会が終わった後の淋しさ、切なさも乗り換えられる。

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2009年8月 3日

嗜好の変化

Photo  ずっと苦手としていたものを、ある日突然、好むようになったことがある。青じそ(大葉)。子供の頃、夏になると必ず食卓に上る青じそを疎ましく感じていた。香りも味もダメで、どうしても口にすることが出来なかった。どうしてこんな食べ物が存在するの?といつも思っていた。青じそを美味しそうに食する母をいつも不思議そうに眺めていた。
 そんなゆうきが、14年前の8月、体調を崩した。食欲がなく、常にだるい。体重も激減した。何か悪い病気にかかったのでは?心配した夫はゆうきを病院に連れて行った。色々検査した結果わかったことは、妊娠3ヶ月。悪い病気ではかった事にホッとしたものの、母になるんだという実感は沸かなかった。
 体調不良の原因が悪阻だとわかってからの方がつらかった。食べ物の匂いを嗅ぐだけでダメ。大好物なはずのフルーツさえ受け付けない。食べ物を見るたびに、ドラマの女優のように口元を押さえて洗面所やトイレに駆け込んだ。まともに口に出来たのはスポーツドリンクだけだった。それでも、心配をかけまいと毎日、毎食、食卓には着いた。食事のたびに顔をそむけるようにしてただ座っているだけのゆうきの目に、ある日、夏の定番?とも言える光景が目に留まった。母が青じそをご飯に巻いて食べている。実に美味しそうに。不思議と青じその香りを不快に感じなかった。
「食べてみる?」
ゆうきの視線を感じたのか母が進めてくれた。恐る恐る口に運んでみた。芳しい香りが体全体に染み渡り、ゆうきの中でピクッと何かがうごめいた。医学的にいう胎動とは違うのかもしれない。でも、ゆうきは、あの瞬間、母となる歓びを実感した。
 以来、青じそが大好きになった。青じそを食べるたびに見るたびにあの夏を思い出す。青じそを好んで食するゆうきを娘は不思議そうに眺めている。

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2009年8月 1日

太陽に片思い?

Photo  今日の天気は曇り。いや、今日もと言うべきか。夏休みに入って一週間余り、夏らしいギラギラした太陽をまだ、経験していない。それでも、人はまだ幸せだと思う。天候によって予定変更が出来るし、雨の日でも十分に楽しめる場所がたくさんあるから。でも、自らの力では異動不可能な植物たちはどうだろう?夕方、近所の向日葵を見て、ちょっぴり切なくなった。向日葵。その名の通り、お日様に向かって咲き誇るはずの彼らがどちらの方向を向けばいいのかがわからずに戸惑っているように見えたから。
 小学生の頃、太陽に向かって、ぐんぐん背丈を伸ばし、ついには自分の背丈も追い越してしまった、その力強さに憧れを抱いた。青空と太陽と大輪の向日葵を絵日記にした。ただひたすら太陽を思い続けるひたむきさを今も敬愛している。
 向日葵、花言葉は”あなただけを見つめています”。向日葵が今年の向日葵が、太陽にずっと片思いしたまま、その一生を終えてしまうのはあまりにも可哀そうだ。太陽の女神様、どうかどうか、彼らに向かって微笑んでください。

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