« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月

2009年10月31日

秋の宝石

Photo  地元に程近い道の駅の入り口に置かれていたホウズキ。熱い思いが込み上げてきて、気が付くとデジカメで撮影していた。
 ゆうきのホウズキに対する思い入れは深い。家族の誰が何処で手に入れていたのかは定かではないが、ゆうきの実家には、秋から冬にかけては常に、ホウズキがあった。ゆうきは、こたつの上の蜜柑をむくような感覚で、ホウズキ遊びに興じた。小さな頃は祖母と一緒に、ちょっと大きくなってからは一人で。
 ホウズキの外皮の部分と実の部分を離すとほのかに香ってくるホウズキ独特の青臭さ。その香りを感じながら中の種を少しずつ少しずつ出してゆく。手で押すようにして、爪楊枝でほじり出すようにして。簡単なようで意外と難しい。自他共に認めるほど不器用なゆうきが成功するのは稀だった。(だいたい十個に一個ぐらい)それだけにうまくいくと飛び上がるほど嬉しかった。「風船ができたよ、見て見て!」と家中の人に見せて回った。出来上がった風船を口に入れて音を出すことはせずに、手のひらでいつまでも転がしていた。透き通るようなオレンジ色の玉は、秋の宝石のように思えた。
 何気なく手にしていたホウズキ。慎重さ集中力を養う上では最高の教材だったと思う。今のゲーム機のように記録としては残らないが、思い出としては残る遊びだった。

| | コメント (26) | トラックバック (0)

2009年10月28日

願いは

Photo  昨日は、朝からなんとなく落ち着かなかった。
 ケーキ作りに必要な材料で欠けているものはないかと冷蔵庫を開けて確かめたり、器具のチェックをしたり、24時間営業のスーパーへ出向きキウイフルーツと蝋燭を買い足したり・・・・・・とにかく慌しかった。
 午後になり、ケーキ作り開始。失敗は許されない。卵をあわ立てる手が、材料を混ぜる手がちょっと緊張した。ドキドキ、自分の心臓の音を聞きながら作業を進めた。夕方からは娘も加わりケーキ作りは大詰めを迎えた。娘はプレート(板チョコを代用)のメッセージ担当。ゆうきは焼きあがったスポンジのデコレーション担当。親子二人、ワイワイガヤガヤ、お互いのセンスのなさと不器用さをおおいに嘆いた。
 やがて帰宅した夫を主人公にゆうき家恒例の儀式?を行った。少々ぶっきらぼうに蝋燭の炎を吹き消す夫を、娘と二人苦笑しながら見守った。愛おしいと思える時間だった。
 毎年の事ながら、夫をこの世に送り出してくれた彼のご両親に心から「ありがとう」の言葉を贈りたい。彼のご先祖様にも、ゆうきとの出会いに携わった人達にも、結婚へと導いてくれた方々にも。高価な宝石なんていらない。豪邸に住みたいなんて思わない。来年も再来年も、10年後も20年後も30年後も、ずっとずっとこの命が尽きるその年までこうして一緒に誕生日を祝いたい。それだけがゆうきの願い・・・・・。

| | コメント (32) | トラックバック (0)

2009年10月26日

がんばりやさん

Photo  今年は、もう終わりなんだろうなと思っていたら見つけられた。雨模様の空の下、がんばって咲いているコスモスを。びっくりして、嬉しくなって思わず足を止めた。他の仲間達が、すでに花としての寿命を終えているのにもかかわらず、それに屈することなく、懸命に花開かせている。この辺りは、朝晩は10℃を下回るのに、もういつ霜が降りてもおかしくないのに、ここ2~3日は、昼間もそれほど気温が上がらないのに、必死に、必死に風雨に耐えている・・・・・・。倒されまいと踏ん張っている。少しでも太陽の光を求めようという西を向いている。(昼過ぎに撮影)儚げに見えるこの花の何処にそんな力強さが宿っているのだろう。雨が降り続く中、ゆうきは、佇んだ。自生する植物の底力ははかりしれない・・・・・・改めて思う。晩秋にさく一輪のコスモスにゆうきは、元気を頂いた。手足は冷たいけれど、心は温かだ。
 夜になり、また、気温が下がってきた。雨は強さを増している。あのがんばりやさんは、今頃どうしているのだろう。

| | コメント (22) | トラックバック (0)

2009年10月24日

芸術的な

Photo  いつの間にか季節は晩秋。冬の足音に歩調を合わせるかのように、木々の葉が刻一刻と変化を遂げる。
 この時期の、山々は、町並みは、公園は、ただ歩いているだけでも気持ちが良い。意外な発見も多々ある。運動不足解消にもなるし、心の充電にもなる。
 特に予定があるわけではない平日の昼下がり、山際にある公園を散歩した。自宅から近く、静かで、空気が澄んでいて、珍しい野鳥もいる、癒しの空間。ゆうき夫婦は、ちょっと時間が出来るとここに来る。
 公園に足を踏み入れると、真っ先に目に飛び込んでくるのが、見事に紅葉した木々。赤が、黄色が、山吹色が目に眩しい。自然だからこそ作り出せる芸術だ。紅葉は、その年によって微妙に違いがあるそうだけれど、今年の出来は最高だと感じた。夫と二人、デジカメを奪い合うようにして、それぞれに気に入ったアングルを撮影した。
 赤く色づいたもみじ、背景となる空が晴れ渡っていたとしても、曇っていたとしても、絶妙なコントラストだと思う。
 
 

| | コメント (29) | トラックバック (0)

2009年10月21日

幼い頃の

Photo  あるようでない、探すと見つからない懐かしい日本の秋の風景。天日干しをしている稲をほとんど見かけなくなったのは、いつの頃からだろう・・・・・。昔は当たり前の光景だったのに・・・・・。ずっとずっと、心のどこかで捜し求めていた。先日、とある観光地の片隅でようやく見かけることが出来た。華やかではないけれど、ホッとできる温かい光景だ。
 幼い頃、稲刈りを終えたばかりの田んぼは、格好の遊び場だった。イナゴを追いかけたり、影ふみをしたり、大きなカマキリに悲鳴を上げたり、干し残しの稲穂を拾い集めたり・・・・・。地味な遊びではあるけれど、大地の恵みを肌で感じられた。刈りたての稲と土の香りが心地好かった。農作業をする父と色々な話をした。普段はケンカばかりしている弟とも、田んぼの中では不思議と仲良くできた。田んぼは、親と子の、姉と弟の絶好の交流の場だった。写真としては、一枚も残っていないけれどあの時の、家族の笑顔はゆうきの心の中で鮮明だ。
 今では、ほとんど見かけなくなってしまった懐かしい風景。こんなにも癒されるのは、愛おしく思えるのは、あの頃の思い出が、今も生き続けているからかもしれない。

| | コメント (24) | トラックバック (0)

2009年10月19日

今朝のこと

Photo  この写真は、春に撮影したものではない。今朝、撮った写真だ。秋に・・・・もう10月だというのにタンポポが咲いている。数日前から、緑の葉が、駐車場のアスファルトのひび割れから顔を覗かせていることに気付いてはいたが、まさか、花を咲かせるとは思ってもいなかった。春のタンポポより小さな花弁ではあるけれど、茎も短いけれど、それでも確かにタンポポだ。真っ直ぐに、空を見つめている。今日、この花に出会えたことをどうしても忘れたくなくて、デジカメを取りに部屋に戻った。
 以前、ゆうきは、タンポポの綿毛を、このブログの記事に取り上げたことがある。一つの種子が花を咲かせることは、人がこの世を生き抜くこと以上に大変なことかもしれないと、記した。このタンポポだってきっと、例外ではないだろう。どんな風を体感してきたのだろう。いくつの嵐を乗越えたのだろう。今、この瞬間、何を感じてるのだろう・・・・・。季節を間違えた、狂い咲き、だなんて言いたくない、思いたくもない。だってこんなに一生懸命咲いているのだから。

| | コメント (24) | トラックバック (0)

2009年10月17日

思いを乗せて

Photo  遥か上空を飛ぶ飛行機を見たのは、いつ以来だろう。
 気持ちよく晴れ渡った昨日の朝、家の中に居ることが勿体無いような気がして、近くの公園まで、一人、散歩に出た。外気温は、午前8時過ぎの時点で10度弱、上着なしでは肌寒い。空気が澄んでいるためか、空の青がいつもより濃いと感じた。ゆっくりと深呼吸をしながら空を見上げると飛行機が飛んでいた。わ~!ゆうきは、久しぶりに童心に返った。
 子供の頃、青い空を飛ぶ飛行機を見かけると心が弾んだ。当時、飛行機は、ゆうきにとって憧れの乗り物だった。海外旅行が今ほど、メジャーではなかった時代、周りの友達だって同じだった。よく学校の行き帰りに、
「ねえ、飛行機が飛んでいるよ。あの飛行機、どこに行くのかな?}
「北海道かな?}
「アメリカだったりして。」
と言うような会話をよく交わした。
 飛んでいる飛行機の数はあの頃より、今の方が、ずっと多いはずなのに、見かける機械が減ってしまったのは何故だろう。子供の頃の純粋さや、憧れは、色あせてしまったが、それでも、上空を飛ぶ飛行機を見かけると、ついつい目で追ってしまう。
 飛行機に乗っている人の思い、安全を計る人との思い、搭乗する人を見送る人の思い、傾きかけた航空会社を何とか立て直そうとする人の思い、地上から飛行機を見つめる人の思い・・・・。今、飛行機は、どれほどの思いを運んでいるのだろうか。

| | コメント (30) | トラックバック (0)

2009年10月14日

風景画

Photo  ゆうきが住む地域は、秋が深まる速度が早い。お彼岸が明ける頃から、周囲の木々が徐々に色づき始めた。
 今日の買い物帰り、娘からゆうきの携帯に着信があった。
「私、今、帰ってきたよ。おやつ食べて、中間の勉強をしているから、ゆっくりと帰って来てもいいよ。」
と、明るく元気に言ってくれた。お言葉に甘え?夫と二人、春にお花見をした公園に寄った。訪れるのは、ほぼ半年振り。公園は、すっかり秋色に包まれていた。頬に感じる風は、予想していたよりもずっと暖かだが、ウィークデーの16時近くとあってか、人影はほとんどない。その分、静かで、穏やかで、秋の風景を堪能できた。夕暮れ間近の日差しが、木々の鮮やかさをよりいっそう引き立たせている。ここは、紅葉の名所ではないけれどジーンとした。大好きだと思える場所がまた一つ増えた。時間が、いつもより優しく流れていく。もう少しだけこのままでいたい・・・・・。ゆうきは心から思った。

| | コメント (25) | トラックバック (0)

2009年10月12日

初挑戦

Photo  もうすぐ、夫の誕生日。
ゆうき一家の誕生日パーティーは市販のデコレーションケーキを家族で囲む。結婚以来ずっとずっと繰り返してきた。
 しかし、ここ数年、市販のケーキをしつこく感じるようになった。ホール型のケーキを三等分するものの、三人が三人とも、持て余してしまう。その日のうちに食べきれないこともたびたびだ。
 それならばと、今年の夫の誕生日ケーキは手作りしてみようと、ゆうきは考えた。彼の苗字になって15年、初めての試みだ。今まで、マフィンやクッキー、パウンドケーキは、何度も作ってきたが、スポンジを一から自分ひとりで焼くのは、初めて。ぶっつけ本番ではさすがに不安。連休最終日の今日、練習してみた。娘は、中間テストの勉強中、頼れるのは自分自身だけ。責任重大だ。本(百円ショップで購入)とにらめっこをしながら生地を作った。何かを作るのにこんなにもドキドキするのはいつ以来だろう。凄く新鮮だ。何かをしてあげられる人がいることに幸せを感じる。
 四苦八苦の末、焼きあがったケーキを娘と二人、試食してみた。
「ちょっとかたいかな。でも、味はいいよ。」
娘が言った。
「う~ん、確かに・・・」
キツネ色に焼き上げることは出来たが、スポンジケーキと呼ぶにはちょっとかたすぎる。ふわふわ感がもっと欲しい。どんなデコレーションにするのかも決まっていない。夫の誕生日まで後、十日余り、ゆうきの試行錯誤と挑戦は続く。手作りケーキを目にしたときの彼の表情を想像するとまだまだがんばれそうな気がする。

| | コメント (32) | トラックバック (0)

2009年10月10日

誤解です

Photo  「あれは、セイタカアワダチソウだ。」
台風一過から一夜が明けてのドライブ中、夫がつぶやいた。
「えっ、何?」
あまりにも唐突だったためびっくりした。
「セイタカアワダチソウだよ。ススキと一緒にはえているあの黄色い花は。」
「へ~、そうなんだ~」
今まで、視界に入ってはいたのだろうけれど、気にも留めなかった花の名前を、夫が知っていたことに意外性を感じた。
名前を知った途端、その存在が気になり始めたゆうきは、適当な場所に車を止めてもらい、デジカメに収めた。
「この花は有害なんだよな。」
車に戻る途中、夫が再びつぶやいた。
「え~、こんなに可憐な花なのにぃ?」
ゆうきは、納得がいかない気がした。
 セイタカアワダチソウのことを可哀そうに思ったゆうきは、家に帰ってから、インターネットで調べてみた。
 セイタカアワダチソウは、北アメリカ原産の帰化植物。空き地や放棄畑などに繁茂する。一時期は、花粉アレルギーの元凶なのではと言われていたが、この花は、花粉をミツバチなどの昆虫によって媒介させる蜜源植物であり、花粉を風に乗せてばらまく風媒花ではない。有害どころか表土の流出防止に貢献している・・・・・。夫が思っていたことはどうやら誤解だったらしい。色々なことがわかって嬉しくなって早速、夫にこのことを伝えた。ゆうきが必死になって力説したからだろうか、彼も納得してくれたようだ。
 セイタカアワダチソウ、花言葉は、”生命力”。台風による風雨に負けず、凛とした美しさを保ち続けた強さにぴったりだと思った。

| | コメント (18) | トラックバック (0)

2009年10月 7日

もうすぐ

Photo  ゆうきが生まれ育った地の柿の木。もうすぐ、橙色に色付き、収穫期を迎える。ゆうきが子供の頃に比べると、その数は半分ほどにまで減ってしまっているが、ゆうきの実家の木は、まだまだ現役だ。
 この柿の木から採れる実、収獲されても、すぐには、食べられない。何故なら、渋柿だからだ。標高が高いこの地では甘柿は育たない。市内にある柿の木のほとんどが渋柿だ。
 渋柿を甘くするには、三つの方法がある。一番、ポピュラーなのが皮をむいた柿に紐を結び軒先につるし天日干しにして作る干し柿。この地方の特産品でもある。
 二つ目の方法は、採れた実をそのまま放置して熟す方法。ゆうきの実家では、”ジュクシ”と呼んでいた。熟すとゼリー状に変化する実は、入れ歯のお年寄りに好評だ。野鳥のために、柿の実をわざと二つか三つ収獲せずに置く家庭もある。
 三つ目の方法。収穫された柿の蔕(へた)の部分を焼酎に浸し、ビニール袋に入れ密封する。一週間から十日ほどで甘柿に変化する。ゆうきが最も好きな方法だ。渋柿から甘柿に変身?した柿は、焼酎のほのかな香りも手伝って独特の風味を醸し出す。他の果物や他の種類の柿では絶対に味わえない味だ。スーパー等で見かける柿も、もちろん大好きだが、ゆうきが柿と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、小さな頃から慣れ親しんだこの柿だ。嫁ぐその年まで、晩秋のおやつといえば、焼酎に浸して甘くした柿だった。食べるだけではなく、包丁の練習にも大いに役立った。この柿のおかげで?ゆうきは、果物の皮むきが出来るようになった。
 もうすぐ、もうすぐ、収穫期を迎える実家の柿の木。いったい、いくつの嵐を乗越えてきたのだろう。何人の人々を見つめてきたのだろう。この台風も、どうかどうか乗り切って欲しい・・・・。

| | コメント (22) | トラックバック (0)

2009年10月 5日

中秋の

Photo_2  一昨日は十五夜。ゆうきが住む地方は、朝から雨が降っていた。
「今日、お月様、見られるかなぁ。」
つぶやきながら朝からそわそわしていた。何度も何度も外を確かめるが雨が止む気配はない。天気予報を見ても、今日は一日中雨が降ったり止んだりとのこと。画面に表示される傘マークを恨めしく思った。
 午後になり、買い物がてら、近くの湖までちょっとだけドライブに出た。いつもなら観光客で賑わう場所だが、雨のためか人影もまばら。霧も濃く、湖に生息する野鳥が妙に寂しげに見えた。
 家に戻り、いつも通りの時を過ごした。平静を装いつつもやはり落ち着かない。夕食の準備の途中で、ブログを更新した後、お風呂上りに・・・・・。何度も何度も外へ出て空を見上げた。空には真っ黒な雲が広がるばかり・・・・・。あと数時間で今日が終わってしまう・・・・。中秋の名月ではなくなってしまう。朝が早い夫は先に寝てしまった。自分がこんなにしつこい性格だとは思わなかった。ゆうきは、まだ、諦めきれずにいた。
 午前零時少し前、日付が変る直前だ。もうこれで最後にしよう・・・・・・諦め度90%位の気持ちで外へ出た。雲が動きをジッと見つめた。すると徐々に徐々にお月様が顔を覗かせ始めた。辺りは静寂に包まれていて聞こえてくる音は、ゆうきの吐く息オンリー。「わ~!」ゆうきは心の中で歓声を上げた。ずっと会えずにいた旧友に再会したように思えた。震える手で何とか撮影して部屋に戻る頃、お月様は再び雲に覆い隠された。たった数分だけの密会?ゆうきの心は、外の空気とは裏腹に温かい感動でいっぱいになった。

| | コメント (24) | トラックバック (0)

2009年10月 3日

赤とんぼ

Photo  ゆうきがデジカメを持ち歩くようになってから約半年。生き物の姿を捕らえるのは難しいなと常に感じている。人の気配に驚いて逃げてしまったり、思ったようなアングルが図れなかったり。ゆうきの作品には失敗作も数多い。
 先日、ゆうきの目の前を飛び交った赤とんぼ。今がチャンスと、足音を忍ばせ、息を潜めてデジカメを構えた。シャッターを切る指はいつもよりずっとずっと慎重だったように思う。
 ゆうきが赤とんぼと聞いて真っ先に思い浮かべるのは、童謡”赤とんぼ”。あの郷愁を思わせる歌詞とメロディーに心引かれてテレビやラジオでこの歌が流れるとか必ず手を止めてしばし聞き入る。幼い頃からこの歌には、感じることが多かったが、中学生の頃、音楽の時間に歌詞の意味、情景を勉強してからは、よりいっそう、思いが強まった。思いを込めて”赤とんぼ”を熱唱した音楽教師の透き通るような声は今でもゆうきの耳に残っている。
 目の前の松の木に止まっている赤とんぼ。三木露風が”赤とんぼを作詞したのは、大正10年(1921年)。彼がもし、今のこの時代のこの光景を見たら何を感じるのであろうか、ふとそんなことを考えた。

| | コメント (24) | トラックバック (0)

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »