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2010年7月

2010年7月31日

お化けのその後

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 実家の畑で採れたキュウリ。実に個性的な面々だと思う。

 先日の土用の丑の日、実家の両親に鰻を届けたら、思いのほか喜んでくれてお礼にと畑で採れた野菜をたくさん持たせてくれた。ジャガイモに玉ねぎ、キュウリにナス、ピーマン。どれもこれもみんな土と太陽の匂いがいっぱいだ。今回、貰った数種類の野菜の中で最も重量を占めたのは、キュウリだった。ぶっといものあり、まがったものあり、細く長いものあり、短いものもあり、一つとして同じ形をしたものはない。実に個性的な面々だ。家庭菜園だからこその形だと思う。父も母も娘婿や孫のことを考慮してか比較的、形が整ったものばかり持たせたがる。が、ゆうきは形などお構いなしだ。長年の経験で、形が悪いキュウリも十分に美味しいことを知っているからだ。ぶっといキュウリや曲がりんぼうのキュウリを嬉々としてスーパーの袋に放り込むゆうきを母は不思議そうな目で見ていた。

 自宅に帰って、袋の中で一番太くて重そうなキュウリを娘に見せたら、
「わ~、お化けみたい!」
って驚いていた。お化けだって美味しくいただけるよ!見てらっしゃい!ゆうきは心の中でつぶやいた。

 サラダに酢の物、漬物と利用価値が高いキュウリだが、ゆうきが幼い頃から慣れ親しんできた食べ方は、縦に割って味噌をつけてかぶりつく方法だ。実家で暮らしていた頃、夏のおやつと言えば、味噌をつけたキュウリもしくはトマトに塩をつけたものだった。父母よりもむしろ祖父母に薦められることが多かった。外から帰ると決まって
「キュウリに味噌を付けて食べるといいよ。トマトもあるよ。」
って声をかけられた。ゆうきは
「え~、またキュウリ?」
などと言いつつ毎日のようにかぶりついていた。自宅で採れたキュウリやトマトは、とにかく瑞々しくて苦味が全くなくて、飽きたと言いつつも次の日にはまた食べたくなるだけの魅力があった。くたくたになって帰宅してもキュウリもしくはトマトを口にすると、疲れも汗もすぅーっとひいていく思いがした。
 キュウリ味噌にしてもトマトに塩に塩にしても考えてみれば、塩分+水分だ。昔の人の知恵はすごい! 医学的知識がなくとも熱中症など夏の怖い病気を知らず知らずのうちに予防していたのだから。

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 お化けのその後 ① 他の夏野菜と一緒にスープに。

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 お化けのその後 ② こちらは和風。油揚げと共に鰹出しで煮込んであんかけにしました。

 キュウリを入れたスープもあんかけも、初めて作ったけれど、二人の評判は意外と良かった。お化けキュウリも美味しく食べることが出来る・・・・・娘に伝わってよかった。
 お化けキュウリ、また欲しいな。
 

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2010年7月28日

一番の思い出

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 この時期、この紙面は必ずチェックする。

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  こういう記事を見つけると、目頭が熱くなる。

 自他共に認めるほどの運動音痴なゆうき。日頃スポーツ番組はほとんど見ないが、高校野球だけは別だ。特に地方大会は知らず知らずのうちに力が入る。
 今年は、母校が予想以上の大奮闘を見せてくれた。残念ながら後一歩のところで甲子園への切符は逃してしまったが、ナインの顔は、とても爽やかで瞳の輝きは、この上なく美しかった。ゆうきは、心からの拍手を母校の球児たちに贈った。

 高校時代の一番の思い出は何かと問われれば、ゆうきは迷うことなく 「高校野球の応援。」と応える。
 24年前、県中心部に位置する球場で体感した、肌を突き刺すような日差し、土埃の匂い、球場全体にとどろくざわめき、ナインの真剣な表情、口に含んだかち割氷の感触・・・・・その全てが今でも鮮明だ。
 我が母校は、今でこそ、県内でそこそこにその名を知られているが、ゆうきが在学していた当時は創部まもなくて無名と言っても過言ではなかった。
 ゆうき自身、特に気に留めたことがなかった野球部が、昭和61年の大会では底力を見せた。多くの生徒の予想に反して?一回戦、二回戦、三回戦と勝ち進んでいき、ついには準々決勝にまで上り詰めた。当然のことながら創部以来初めて。日頃、机を並べている同級生の活躍に心がざわめいた。校内は大いに盛り上がり全校応援となった
対戦校は、優勝候補とされるT校、何度も甲子園出場を果たしている。力の差は歴然としていた。誰もが無理だと思っていた。でも、でも、どうしても勝って欲しい、勝たせてやりたい試合だった。
 試合は当然のごとく、相手校優勢で進んでいった。それでもゆうきたちは、選手たちに届けと大声で応援した。一進一退とはお世辞にも言いがたい試合展開、このままではコールド負けとなってしまうと言う所で一点を返した。スタンドは湧いた。大声が金切り声となった。スタンドには地元の放送局のカメラが構えていて、テレビに映る可能性大だったが、そんなことはどうでも良い。美人さんもイケメン君も仏頂面の先生も、みんな、みんな、汗と涙とプラス鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして声を張り上げた。金切り声は、いつしか涙声に変わっていた。選手と一心になりたかった。
 試合は、相手校が逃げ切る形で終わった。試合終了のサイレンが鳴り響いた瞬間、ゆうきは、崩れるように座り込んだ。涙が後から後からあふれ出てくる。悔しいというのではない。言葉に出来ない熱いものが心の底から次から次へと湧き出てきて、ただただ泣きじゃくった。
 自身は、あの時、あの瞬間、お金では絶対に買えない、高校時代にしか味わえない感動を味わったのだと悟ったのは、家に帰って気持ちが落ち着いてからだった。

 四半世紀近くの時が流れ、高校野球を親目線で見つめるようになった。目線が変わると色々なものが見えてくる。ベンチに控える選手たち、スタンドで声援を送る生徒たち、大会の裏方で奔走する生徒たち、会場に駆けつけることは出来なかったけれど他の部活で汗する生徒たちetc.立場は違えど、みんながみんな高校時代にしか出来ない経験をしていることは共通している。学生時代に流す汗に無駄な汗なんてないとゆうきは思う。大いに汗して大いに涙して欲しい・・・・・・心から思う。

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2010年7月26日

食べたいな

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 梨の木を近くてじっくり見るのは初めてかもしれない。

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 わ~、見れば見るほど美味しそう・・・・・・・・。

 「梨の写真が撮りたい!お願いだから撮らせて!」
彼の実家に帰省した際、たわわに実る梨が目に付きゆうきは懇願した。いくら撮りたいとはおもっても梨畑は車の通りが多い国道沿い、行く時は、時間帯が遅かったこともあり叶わなかった。
 ゆうきの願いは、次の日、帰宅する時にはより強まった。何としても撮ってやる。実家を出た直後からデジカメを手に身構えた。
梨の木が目に入った時に限って後続車が連なり、車の流れが緩やかになった時には梨の木が無い。チャンスはなかなか訪れなかった。もしかしたら撮れないかも・・・・・・次に来る時は冬なのにな・・・・・・。諦めかけた時、コンビニの看板が目に入った。派す向かいは梨畑。
「止めて、止めて!」
車が駐車場に入ると、ゆうきはデジカメを手に梨畑へ近づいた。

 彼の実家方面にはあって、ゆうきの地元にはないもの、その一つが梨の木だ。16年前、初めて彼の実家へ出向く際、見慣れる木が目に飛び込んできて、
「ねえ、あれは何の木?」
と興奮しながら彼に質問した。
「あ~、あれ?あれはね、梨の木だよ。」
こともなげに彼は答えた。へぇ~こっちには梨の木があるんだ~、梨ってこんな風になるんだな~と妙に感激した覚えがある。
 梨って子供の頃から大好きだった。好きな果物は?と問われるとベスト5に入る。
ゆうきが小学生だった昭和50年代、地元で収穫される果物以外は、まだまだ高価だった。めったに食べられないとまではいかないが、でも、だからと言ってふんだんに食べられるわけでもない。食べられる期間は限られていた。その期間の中心が運動会。食後のデザートとして持ってきてくれた梨をどんなに美味しく感じたことがか。お弁当やお菓子もそこそこに 「早く梨を剥いてくれ。」とせがんだ。グラウンドの片隅でゴザを敷いて食べる梨は、これ以上美味しい食べ物はないと思えるくらい美味だった。ゆうきは、今でも、運動会の食べ物と言って真っ先に思い浮かぶのは梨だ。

 運よく?撮影できた梨畑。美味しそうに実っている。顔を近づけて見ても傷一つない。この地は何度となくゲリラ豪富に見舞われているはずなのに・・・・・・・。きっと、きっと、この畑を管理する人が丹精を込めているんだろうな。梨畑は、家庭菜園にしては広かった。この梨畑で収穫された梨が市場に出回ることはあるんだろうか?この畑で摂れた梨をぜひ食べてみたい・・・・・心から思う。

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2010年7月24日

はなっぽろ?

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 向かって左側の雲、皆さんは何に見えますか?

 一昨日、昨日と夫の実家に帰省してきた。昼過ぎに出発して一泊するだけの強行。例年であれば、もう少しゆったりとした日程を組むのだが、今年は受験生がいる。のんびりしたいのは山々だが、それは来年までおあずけだ。中学校の終業式を終えて帰宅する娘を待ち、準備もそこそこに車に乗り込んだ。

 夫の実家までは高速を乗り継いでも3時間を要する。運転をするのは何時も彼。ゆうき母娘は、音楽を聴いたり窓の外を眺めたりして過ごす。出発して一時間弱、代わり映えしない景色に飽きたゆうきは、少しウトウトしようと助手席のシートを倒した。その瞬間、視界の大半が空となった。「お~、いいじゃん、いいじゃん。」 ゆうきは心の中で手を叩いた。これならば地上にいながらにして空の旅を楽しむことが出来る。自分で移動する必要はないし、足元を気にせずとも転ぶ心配もないし、怪しい人と思われることもない・・・・・・・。空を眺めるのは大好き。眠気はどこかへ吹き飛んでいた。車が、自宅と彼の実家との中間地点を過ぎたころ、面白い形の雲を見つけた。
「ねえ、ねえ、見て、見て、あの雲、ソフトクリームみたい!」
ゆうきが歓声をあげた。
「う~ん?あれがソフトクリーム?ゆうきはホント”はなっぽろ”だな~。」
彼が苦笑した。ちなみに”はなっぽろ”とは彼の故郷の方言で食いしん坊のことだ。食いしん坊などと面と向かって言われるとムッとするが、”はなっぽろ”と言われると心をくすぐられたような不思議な心地好さを感じる。同じ意味の言葉なのに・・・・・方言ってホント素晴らしい。
「へへ~、そうかも。」
ゆうきは舌を出し肩をすくめた。

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車が、彼の故郷の町へと入った。一昨日の夕方はホント空が綺麗だった。真っ赤な太陽を肉眼で見るのは何年ぶりだろう・・・・・・。
ゆうきの故郷とはまた違った方言を話す彼の義母や兄弟たちとそう頻繁に会えるわけではない。娘が大きくなるのに伴い年々足が遠のいているのが事実だ。会えないのは寂しい・・・・・。でも、でも、私たちは、同じ太陽の恵みを受けて生活している。群馬の彼の家族も北海道に暮らす義妹夫婦もみんなみんな。過去も今もこれから先もずっとずっとそのことだけは変わらない・・・・・。そう思うとちょっぴりだけど元気になる。

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2010年7月21日

節約料理

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 今夜の夕食の材料。今日、購入したのは一袋19円のモヤシオンリーです。
(少しピンボケになってしまいました。わかりづらくてごめんなさい。)

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 今夜は野菜炒めにしてみました。
(こちらは綺麗に撮れているかな?)

 毎週水曜日は節約メニューの日と密かに決めている。節約などと言うと聞こえが良いが、実のところ、冷蔵庫一掃セール&手抜きの日だったりする。いつもは品数や献立のバランスにこだわるが、一週間に一度、水曜日だけは冷蔵庫の食材を全部使い切ることだけを心がける。メニューはその週の冷蔵庫の在庫状況によってまちまち。スープだったり、鍋物風の煮物だったり、具沢山の煮込みうどんだったり・・・・・。週一度くらい手抜きがしたいから(これ本音)一品目に全部の材料を使うことにしている。
 今夜は野菜炒めにした。ブログの記事にするため材料をきちんとお皿に並べてみたが、普段はそんなことはしない。火の通りにくい食材から順にフライパンに投入して炒めていく。昨夜のカレーを作る時に残った玉ねぎ半分と人参の皮、冷蔵庫の片隅でしなびていたピーマン&キャベツ、我が家ではおなじみの材料である大根葉、キャベツの芯は細かく刻む、先週購入したまま使い忘れていたシメジと、某スーパーであればいつも19円で売っているモヤシ・・・・・・全部を炒めて仕上げにすりおろしたニンニクを投入、今日は味覇(ウェイバァー)で味付けした。少し味見をしてみたがなかなかの出来栄えだと思う。
 ゆうきにとっての節約&手抜きメニューは、二人(夫と娘)のお気に入りメニューだ。

 人参の皮であろうと大根葉であろうとキャベツの芯であろうと立派な食材。食せば糧となり力となる・・・・・・って祖父母がよく言っていた。両親に比べて大甘の二人も食べ物を無駄にすることだけは絶対に許さなかった。節約メニューを美味しいと思える瞬間は、ゆうきの心の中で祖父母の思いが生きつづけていることを実感できる瞬間でもある。

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2010年7月19日

もぎたて

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 今年もひいきにしている桃葡萄農家から葉書が届きました。

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 鈴なりの桃、デジカメに収めることが出来てよかったです。

 六月末に、ひいきにしている桃葡萄農園から葉書が届いた。ゆうき夫婦は、毎年、この農園からお中元を贈っている。桃を楽しみにしてる義母や義弟の顔が目に浮かぶ。葉書の到着は、夏の到来でもある。

 農園を営むご夫婦の人柄にほれ込んで何年が経つのだろう。最初の年は確か娘が幼稚園の年少さんだった。以来、毎年、欠かさず足を運んでいるから今年で12年目かな。旦那さんの日焼けした健康的な笑顔と、奥さんのちょっぴりお国訛りが残る言葉に触れていると、とても心地好くてついつい実家にいるかのようにリラックスしてしまう。
 
 梅雨が明けて最初の土曜日、逸る気持ちを抑えながら農園を訪れた。農園の名物?ご夫婦の温かい笑顔が出迎えてくれた。この笑顔にどんなに会いたかったことか・・・・・・・。胸がほっこりする。
 着く早々軒下のベンチを勧めらた。夫が双方の実家と北海道の義妹夫妻に贈る桃を選び伝票を書いている間、この夏の様子を尋ねた。話によると今年は雨が多くて、収穫時、ほとんど毎回のように雨合羽を着用したとのこと。こんな年は、珍しいそうだ。桃一つに込められたご思いがうかがい知れ、鼻の奥がツーンとした。ご夫婦の桃に対する愛情が功を奏したのだろう・・・・・店頭に並ぶ桃はどれもこれも宝石のように光り輝いていた。

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 お中元に贈るだけでは、あまりにも惜しい気がして、今年は自分達用の桃も購入した。
食べる直前に冷蔵庫で冷やして、お風呂上りに頂いた。丹精が込められた桃は、甘酸っぱくジューシーで太陽の香りがした。今年の出来栄えは上々だと思う。

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2010年7月17日

夏の花

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 キュウリの花ってこんなに大輪だったっけ?

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 ジュウロク(インゲン)の花を見るのも久しぶり。

 久しぶりに早朝散歩をした。ここの二ヶ月ほど夫が遅番出勤で家にいたり、娘のテストが続いたりで朝はいつもバタバタしていて気持ちに余裕がなかった。。
 今日は夫も娘も休日。午前6時の時点では、まだ二人ともぐっすりだ。疲れているんだろうな・・・・・寝かせておこう・・・・・・。ゆうきは、デジカメ片手にこっそりと家を抜け出した。
 少し見ない間に、自宅周辺はすっかりと夏と化していた。若葉は深緑に、小さな芽や苗だった作物は花を咲かせ、小さな実が顔をのぞかせている。夏だな~。ゆうきは大きく伸びをした。

 小学生の頃、畑は格好の遊び場だった。夏休みになると自宅から少し離れたは畑へ足を運んだ。おばあちゃん子だったゆうきは、祖母と一緒のことが多かったかな。祖母は作物の様子を見たり収獲したりするために、ゆうきは、その邪魔をするために。(もとい、手伝いをするために。)
 キュウリにジュウロク(ゆうきの地方ではインゲンのことをジュウロクと呼ぶ)、ジャガイモ夏の畑には様々な花が咲いていて気持ちがワクワクした。素足にピーチサンダル畑に足を踏み入れ
「ももっち~!」 (くすぐったい)
と叫びながら花を摘んでは、日にかざしたり、髪飾りにしたりして遊んだ。雑草が足に刺さっても泥だらけになってもヘッチャラだった。朝顔や向日葵といった庭に咲く花と違って、いくら摘み取っても叱られない畑の花は子供心にすごく魅力的だった。

 素足にピーチサンダルで畑に足を踏み入れてみたい・・・・・・・。畑を見るたびに密かに思う・・・・・・。雑草が足をくすぐる、あのももっちさ(くすぐったさ)は今でも鮮明だ。

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2010年7月14日

雨上がりに

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 雨露が日差しに照らされて光り輝く様を撮りたかったけれど、なかなか難しいな。

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 水溜りに映った青空って何故か心引かれる。

 雨上がりの散歩は気持ちがいい。雲の切れ間から覗く青空が目に眩しく、小鳥のさえずりが耳をくすぐり、緑の香りを多く含んだ風が優しく頬をなでる。空気を美味しいと感じるのも、雨上がりの場合が多い。

 ゆうきが学校帰り、道くさをしなかったことはほとんどないということは以前の記事に記した。それが雨上がりだった時にはなおさら。通常ならば徒歩で30分弱の道のりを、一時間以上もかけて帰ることもたびたびだった。長靴を通じて感じる水の感触を確かめたくて、わざと水溜りに足を突っ込んだり、草花に残った露が太陽の日差しに照らされて光り輝く様子を、「自然の宝石」と命名して飽きることなく眺めたり、カエルに悲鳴をあげたりカタツムリをつついたり、アメンボウを見つけることが出来た時は飛び上がって喜んだ。くだらないことがこの上なく楽しかった。雨上がりの街並みはただそれだけで魅力の宝庫だった・・・・・・。

 デジカメであちらこちら撮影しているゆうきの脇を小学生の男の子が駆け抜けていった。何か予定があって忙しいのかな?雨上がりの街並みを愛でる様子はない。
 アメンボウはどこに行ってしまったのかな?カエルやカタツムリも随分と減ってしまったような気がする。三十数年後の雨上がりの街並みにそれなりの魅力を感じつつも、物足りなさも見え隠れする。

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 散歩から帰りしばらくすると日が暮れた。この日の夕焼けは素晴らしく美しかった。あの忙しそうに駆け抜けていった男の子はこの夕日を見ることが出来ただろうか。

 

 

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2010年7月12日

最初の夕食は

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 ゆうきの中の”実家の味”は数多い。糠漬けに南蛮味噌、たくあん、油味噌、煮物・・・・・・。兼業農家だったためか野菜系が大半を占める。
 あれはいつのことだっただろうか、外出先で野菜の煮物を食べたことがあった。作ってくれた人には悪いが、化学調味料の味ばかりが先行して正直言って美味しくなかった。それまでは気付けなかったが、自分が今までいかに、素材の味が生かされた料理を食べさせてもらっていたかが実感できた。料理上手になりたい・・・・・心から思った。

 料理上手な奥さんになりたかったが、日々の忙しさを言い訳に、俗に言うお袋の味を覚えないまま、元へ嫁いでしまった。
 新婚旅行から帰った次の日、今日からは一人で全部やらなければならない・・・・・・・頭の中は大パニック。でも、とにかく夕食の準備だけでもやらなくては・・・・・・。ゆうきはとりあえず、買い物に出た。その時、手にした食材は何故かかぼちゃ。「これどうしよう・・・・・・」 家に帰ってから思った。よく考えずに食材選びをした自分自身を責めた。材料は無駄に出来ない・・・・・とにかく何とかしなくては・・・・・・・。実家の母に電話して、それだけでは飽き足らず嫁入り道具の一つであった料理の本を開き煮物のレシピを頭に叩き込んだ。洗濯物を干しながら、掃除機をかけながら、昼食のカップラーメンをすすりながら、何度も何度も復唱した。夕方近くなり、調理開始、肩に力が入っているのが自分でもよくわかった。かぼちゃを切っている間はドキドキ、煮込んでいる間はもっとドキドキだった・・・・・・。気合が入りすぎていたのだろうか・・・・・・・結果は失敗。かぼちゃの皮がはがれなんとも言いようのない代物のとなった。
 「こんなもの食べさせられない。」と泣くゆううきの頭をなでて、彼が一番先に箸を伸ばしたのが失敗作の煮物だった。
「味は悪くないよ。まぁ、徐々に上手くなればいいさ。」
彼の言葉が心に沁みた。

あれから何度、かぼちゃの煮物を作ったのだろう・・・・・・・。時には焦がし、皮がはがしたのも一度や二度ではない、砂糖と塩を間違えた事だってあった。失敗を積み重ねて、ようやくようやく形になった。
昨日の夕食にかぼちゃを煮た。彼はゆうきが初めて作ったかぼちゃの煮物を覚えているのであろうか。あの日と同じように、数々あるおかずの中で一番先に箸を伸ばしたのはかぼちゃの煮物だった。
 

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2010年7月10日

雲の向こうから

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 芦ノ湖スカイライン展望台から見た芦ノ湖。
間近で眺めるのとは、また雰囲気が違います。

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 少し先にある反対車線の展望台からは富士山がみられるのですが、この日は・・・・・・。

 久しぶりに神奈川周辺をドライブしてきた。(二人で) 大涌谷、少し足をのばして湯河原、特に目的意識を持つでもなくゆっくりと散策した。二人で食事して、二人で海を眺めて・・・・・帰り道に選んだのは芦ノ湖スカイラインだった。この道路は有料だけあって、数箇所ある展望台からの眺めはどれも皆素晴らしい。連日のように多くの人々が訪れ、一様にカメラを構える。芦ノ湖スカイラインの展望台は、ゆうきにとって、ゆうきの家族にとって、義妹夫婦にとって忘れなれない地である。

 今から10年前、群馬に住む義妹が、北海道出身の婚約者と義母を伴って、ゆうきの地元に遊びに来た。三人は、前日から箱根の温泉ホテルに宿泊していて、ゆうき一家がそちらに出向く形で落ち合った。北海道出身の彼とは初対面。義弟になる人とは言え、向こうの方が年上。正直言ってどう接すればいいのかわからなかった。思いは夫も同じらしく、とりあえず挨拶はするものの後が続かない・・・・・・。ぎこちない雰囲気のまま、ホテルを出た。北海道で生まれ育った彼は、まだ一度も富士山を見たことがないと言う。ならば富士山をぜひとも見せてやりたい・・・・・・。義妹、義母、ゆうき夫婦は共通の思いを抱いた。だが、その日は薄曇り。空には晴れている箇所もあるのに富士山周辺だけは厚い雲に覆われていた。彼らは前の日も天気に恵まれず、富士山を見られずじまいだったらしい。嘆いてもても仕方がないのでとりあえず観光を。芦ノ湖で遊覧船に乗って、水族館で魚を見て・・・・・・。楽しいでいる様子なのは当時4歳だった娘オンリー。大人たちは、口にはださねど、しらけた雰囲気だった。
6人で食事して、箱根を後にすることになった。その時に通った道が芦ノ湖スカイライン。時刻は午後3時過ぎ、もう少ししたら日が暮れてしまう。彼は明日には北海道に帰ってしまう・・・・・・。富士山を見せるとしたら、スカイラインの展望台が最後のチャンスだ・・・・・・・。
ゆうきは祈るような気持ちになった。「お願い、お願い、一瞬だけでもいいからお願い・・・・・・・。」 助手席で一心に手を合わせた。何度も何度も富士山方面を確認した。声にならない願いを噛み締めた。ほとんど半泣き状態だった。
 思いが通じたのだろうか、スカイラインを通過し終わる頃、雲の切れ間から、富士山が姿を見せ始めた。 
 あの日、あの時の彼(義弟)の感激の表情をゆうきは一生忘れない。ゆうきにとっては見慣れた富士山、でも、彼にとっては・・・・・・・。よっかった~!顔で笑って心で思いっきり泣いた。

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 あの日と同じようにスカイラインを通り過ぎる直前になって雲の切れ間から富士山が姿を見せ始めた。そうそう、義弟が初めて見た富士山もこんな感じだった・・・・・。   

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2010年7月 7日

ハーブフェステバル

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 会場の入り口近くにはカモミール

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 フェステバルのメイン ラベンダー

 地元で開催されるハーブフェステバルに、今年も行ってきた。初めて行ったのが16年前、以来毎年、足を運んでいるから今年で17回目だ。最初の年は二人で。付き合い始めて間もなかったため会話もぎこちなかった。次の年は1.5人で。悪阻が激しい時期でラベンダーの香りが鼻について、たまらなくなってすぐに会場を飛び出した。三回目からは三人。ベビーかに乗せられた娘は、どこに連れてこられたかがわからない様子だったが、それでも気持ち良さそうだった。四回目、五回目、六回目くらいまでは、ちょろちょろと動き回る娘を追いかけるのに必死でハーブのことはそっちのけだった。七回目以降は娘から誘ってくるようになった。夫はその年その年の娘の魅力を撮るのに一生懸命となり、やはりハーブは二の次だった。ハーブと聞くと付き合い始めたあの頃や無邪気だった頃の娘を思い出す。ハーブフェステバルは我が家の歴史と言っても過言ではない。

 そして、17回目の今年・・・・・・また、二人に戻った。業者テストが近い娘が「留守番しているから。」と言い出したからだ。娘には娘の生活がある、いつかは着いてこなくなる。自身に言い聞かせては見るもののやはり、寂しいものは寂しい。夫婦二人での買い物やドライブはしょっちゅうでも”フェステバル”と名付くものに二人だけで出向くのは、娘が誕生して以来、初めてだ。彼も同じことを感じているようで、デジカメでラベンダーや辺りの景色を撮影しているもののなんとなく所在なげだ。
「もう、帰ろうか・・・・・・・」
と言いかけた瞬間、モンシロチョウが目に飛び込んできた。

「あっ、ねえ、チョウチョだ! ねえ、撮ろうよ!」
「あっ、あっ、うん!」
ヒラヒラと舞うチョウチョを撮るのは予想以上に難しい・・・・・・。ぶれてしまったり、シャッターを押す直前になってとんでもない方向へ行ってしまったり・・・・・・・。チョウチョから見た人がカメラがどう見えるかはわからない。だが、まるでもてあそばれているかのようだった。何度か失敗して、時々、交代してようやくようやくようやく撮る事が出来た。シャッターを切ったのは彼。額に汗した彼の表情にはさっきまでの寂しさはなかった・・・・・・。

 突如、出現したチョウチョは、気まずくなりそうだった雰囲気に彩りを添えた。デジカメを手に会場を後にする際は、心がほんのりと温かだった。

下の写真は、ラベンダー畑を背に、湖を見つめているかのように佇んでいた野鳥です。
 誰か名前を知っていたら教えてください。

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2010年7月 5日

アレとは・・・・・

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 材料はその日、家にあるもので。

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 途中経過なしにいきなり出来上がりの写真。

 「〇〇~、今日のお昼何が良い?」
 「う~んとね~、アレが食べたい。」
 「えっ、アレでいいの?」
 「うん、アレがいい!」
 
ある日曜日に母娘で交わした会話。
この場に夫が居合わせたとしても”アレ”が何のことだかさっぱりわからないと思う。何故なら”アレ”とは、ゆうきが考案?した母娘二人の時にしか作らないメニューなのだから。

 材料はあるもので。この日は、ベーコンと玉ねぎ、ピーマン。まずは材料をみじん切りにしてレンジで加熱する。ボールに卵を割り入れ、そこにご飯と加熱した材料を入れる。後はフライパンで焼くだけ。(ホットプレートでも可。)両面がこんがりと焼けたらお皿に載せて、その日の気分でケチャップをかけたりソースをかけたり・・・・・。写真を撮った日は、かつお節と刻みねぎ、お醤油でさっぱりと頂いた。

 ”アレ”は、ゆうきが考案したメニューではあるけれど、どこか懐かしい味がする。(特にかつお節とお醤油をかけると)子供の頃、食べたことがあるような、ないような・・・・・・・・う~ん・・・・・・。
 考えてみたら、ゆうきのおばあちゃんが、創作料理が好きな人だった。家族が出払ってゆうきと二人の時、家にある材料だけで知恵を振り絞って様々なものを作ってくれた。
「ちょっと、いたずらしてみたよ。」
なんていいながら・・・・・・。何が出てきたかはほとんど覚えていないが、あの時の祖母のちょっぴりいたずらっぽい優しい笑顔は今でも鮮明だ。何故だか時々、冷蔵庫を引っ掻き回して、そこにある材料だけで、オリジナルな料理を無性に作りたくなるのは、隔世遺伝なのかもしれない・・・・・・。

お金もかかっていない、時間も掛かっていない、手間もそれほどかかっているわけではない。ないない尽くしの一品にももかかわらず、娘は実に美味しそうに頬張る。これから先、この子の中で、この名前の付けようのない”アレ”はどう残っていくのだろう。オフクロの味として刻み込まれなくとも良い、ただ母娘の何気ない日常として心のどこかにとどめておいてくれたなら、それだけでゆうきは幸せだ。

 

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2010年7月 3日

菖蒲のような・・・・・

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 湖の畔(ほとり)に咲く菖蒲を見た瞬間、大切な人のことを思い出しました。

 人を花に譬えることがある。容姿を賞賛して、あるいは尊敬の念を籠めて、プロポーズの意味で使う人もいるかもしれない。状況は人それぞれでも、譬える側が譬えられる人のことを大切に思っていることは変りないと思う。
 菖蒲のような人がいた。今日、湖の畔に忘れ去られたかのように咲く、数輪の菖蒲を見つけて、懐かしさで胸がいっぱいになった・・・・・・・。

 菖蒲のような人と言うのはゆうきの華道の師匠。大正生まれの女性。ゆうきがお花を習っている時(17~18年前)にすでに喜寿を超えていた。その年代に生まれた方々が皆さんそうであるように、先生もまた苦労に苦労を重ねて生きてきた人だった。先生が遠い親戚筋にあたる為、家で先生のこれまでの人生がいかに激動であったかを聞かされることが多かったが、先生自身が自らの半生を悲観する言葉を漏らすことは一度もなかった。可憐と言った時期は過ぎていたが凛としていて、学が高いわけではないけれど聡明で、畑仕事を生きがいとしてきたため痩せていて腰が曲がってはいるが足取りは若い世代に引けを取らなくて、着飾ることをしなくても華がある人だった。これまで出会ってきた誰よりも女性らしく且つ男らしくもあった。”ボロは着てても心は錦”とは先生のことだと感じた。先生はゆうきに、日本の古きよき文化、作法、”道”の大切さを徹底的に叩き込んだ。指導はかなり厳しかったが、愛情にあふれていて、華道の師匠と言う職業に誇りを感じていることがひしひしと伝わってきた。言葉、立ち振る舞い全てに見習うべき点があり、先生と接する度に、言葉を交わす度に大人の女性に近づけるような気がした。

 ずっと、先生の指導を受け続けたかったが、結婚を機にやめることになった。16年前のちょうど今頃の時期、母を伴って先生のお宅に挨拶に出向いた。県外出身の彼と結婚することを伝えると
 「そう、きっと、彼はゆうきちゃんと縁があったんだね。結ばれるべくして結ばれるんだよ。幸せにね。」
と言って顔をくしゃくしゃにした。独身を貫いた先生の言葉は、心に沁みた。
 挨拶を済ませて先生のお宅をあとにする際、目に飛び込んできたのが、菖蒲だった。菖蒲は、盛りを過ぎてはいたけれど、手入れが行き届いていて、梅雨空の空の下しゃんとしていた。鮮やかな紫色をした菖蒲を見て、「あ~、この花は先生のような花だ・・・・・・」と感じた。

 菖蒲を見るたびに、お花を習っていたあの頃が、先生の言葉が走馬灯のように甦る。もうすぐ、もうすぐ先生の命日だ。
「ゆうきちゃん、しゃんとなさい!」
の言葉が菖蒲の花弁から聞こえてくるような気がする。

 

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